SOILWORK
同郷スウェーデンのIN FLAMES、ARCH ENEMY、DARK TRANQUILITYらに続く第二世代として、メロディック・デス・メタルの新たな方向性を開拓したバンド。1995年に前身バンドINFERIOR BREEDからSOILWORKと改名。97年制作のデモが認められ、フランスのListenableレコードと契約。IN FLAMES等を手掛けたことでも知られるフレドリック・ノルドストロームのプロデュースの下、デビュー・アルバム「STEEL BATH SUICIDE」を制作。このアルバムで一気シーンに名を知らしめた彼らは、99年に同じくフレドリックのプロデュースで2nd「THE CHAINHEART MACHINE」を制作。DARK TRANQUILLITYのオープニング・アクトとして初の日本公演を行う。勢いに乗る彼らは2001年にNuclear Blast移籍第一弾アルバム「A PREDATOR'S PORTRAIT」を発表。2回目の来日公演を敢行。02年にはデヴィン・タウンゼンドのプロデュースにて「NATURAL BORN CHAOS」を発表。メロディック・デス・メタルにクリーン・ボイスを大々的に導入した新時代の到来を予感させる革新的なスタイルが大きな話題となり、その後数多くのフォロワーを生み出した。乗りに乗る彼らは遂にアメリカ進出に乗り出し、KILLSWITCH ENGAGEとのツアーを通してアメリカのメタル・ファンを獲得、CMJのラウド・チャートにて年間5位という偉業を達成する。同年、日本でのヘッドライン・ツアーを敢行。03年に「FIGURE NUMBER FIVE」を発表。CHILDREN OF BODOMとのカップリング・ツアー、初来日公演時とは逆にDARK TRANQUILLITYをオープニング・アクトに従えた下剋上ヘッドライン・ツアーと2度の来日公演も成功を収める。05年には「STABBING THE DRAMA」をリリース。Ozzfest、Wacken Open Air等のビッグ・フェスティヴァルも含む大規模なツアーを敢行するものの、ギタリストのピーター・ウィッチャーズが脱退。バンドはDIMENSION ZERO(現DARK TRANQUILLITY)のダニエル・アントンソンにヘルプを仰ぎツアーを続行。その後ダニエルを正式メンバーとして迎え入れた新生SOILWORKは07年に「SWORN TO A GREAT DIVIDE」を発表。リリース後にオーラ・フレニングが解雇されるも、デイヴィッド・アンダーソンやシルヴァン・コードレーにヘルプを頼みツアーを継続。徐々にアメリカでの人気も高まり、ビルボード総合チャート148位にランクイン。その後ピーターが復帰、併せてシルヴァンを正式メンバーとして迎え制作した「THE PANIC BROADCAST」(10年)がビルボード88位を獲得するなど、遂にトップ100入りを果たす。
11年にピーターが再離脱。日本公演でもプレイし、ビョーン“スピード”ストリッドやARCH ENEMYのシャーリー・ダンジェロ(B)らによるプロジェクトNIGHT FLIGHT ORCHESTRAでもプレイするデイヴィッド・アンダーソンを呼び戻し、新作のレコーディングに突入する。