STRATOVARIUS
84年、ヘルシンキにて結成。85年にギタリストのスタファン・ストロールマンが脱退し、ティモ・トルキが加入。クラシックからの影響をティモがバンドに持ち込んだことにより、そのサウンド・スタイルは大きく変化。それに見合う専任ヴォーカリストを探すも見つからず、結局ティモがヴォーカルを兼任することとなる。
バンドはCBS Finlandと契約。89年5月にアルバム「FRIGHT NIGHT」でデビューを果たす。「FRIGHT NIGHT」はヨーロッパや日本のマニアの間で評判となったものの、CBS Finlandとの契約を失い、バンドは自費制作で2ndアルバム「STRATOVARIUS Ⅱ」を完成させ、92年にリリースしたところ、ドイツのShark Recordsとの契約が成立。タイトルを「TWILIGHT TIME」と変更し、ジャケットも変えて同年の10月にヨーロッパ全域でリリースされたこのアルバムは、日本の輸入盤市場で大ヒットを記録し、93年6月に日本盤がリリース。94年2月にはヤリ・カイヌライネン(b)を迎えて3rdアルバム「DREAMSPACE」をリリース(このときから所属レーベルはT&T Records)、この年の6月には初来日公演を実現させた。このタイミングで日本未発売だったデビュー作「FRIGHT NIGHT」も日本発売された。
バンド・サウンドを更に強固なものにすべく専任シンガー、ティモ・コティペルトを迎えたバンドは4thアルバム「FOURTH DIMENSION」を95年2月にリリース。8月には再来日公演を行う。その後、ドイツ屈指のドラマーであるヨルグ・マイケルと、スウェーデン人天才キーボード奏者イェンス・ヨハンソンが加入。このラインナップによる通算5作目「EPISODE」は96年4月にリリースされ、6作目レコーディングを一時中断しての3度目の来日公演も成功させた。続いて、6作目の「VISIONS」(97年)をリリース。この頃になると彼等の人気は地元フィンランド、日本のみならずヨーロッパ全域、南米まで広がるにいたり、このワールド・ツアーをライヴ・レコーディングした2枚組ライヴ盤「VISIONS OF EUROPE」も98年3月にリリースされた。
98年9月に7作目「DESTINY」をリリース、遂に母国フィンランドでは初登場1位を記録。4度目の来日公演実施。2000年2月にはレーベルをNuclear Blastに移籍しての8作目「INFINITE」をリリース。再びフィンランドでは初登場1位を記録(のちにゴールド・ディスクも獲得)。ヨーロッパ、南米、日本での人気を不動のものとした。バンドは「INFINITE」のツアー終了後、長期休暇を取り、ソロ活動等を行なった。2002年からバンドは再始動し、ニュー・アルバム「ELEMENTS」のレコーディングを行い、2003年にアルバムを「Ⅰ」(1月)と「Ⅱ」(10月)の2枚に分けて発表し、6度目の来日公演も成功に収めた。その後ティモ・トルキが病に倒れ、バンドは分裂状態に陥ってしまう。しかしバンドは活動を再開。Sanctuaryとの契約もまとまり通算11作目となるアルバム「STRATOVARIUS」を完成させた。ベーシストがラウリ・ポラーへと変わるも、2008年ティモ・トルキがバンドを脱退。バンドは新たにマティアス・クピアイネン(g)を加入させた。
ニュー・ラインナップとなったバンドは、2009年に12thアルバム「POLARIS」を発表。さらに、2011年1月に13thアルバム「ELYSIUM」のリリース直前にヨルグに悪性甲状腺腫瘍が発見され、一時ツアーから離脱するもすぐに復活し、直後の2月に、HELLOWEENとの強力なカップリングで行なったジャパン・ツアーには無事帯同。しかし、2012年9月15日、ヨルグが個人的な理由で脱退を表明。それを受けてのフェアウェル・ツアーをバンドの祖国フィンランドで行ない、そのタンペレ公演の模様を収めたライヴDVD「UNDER FLAMING WINTER SKIES – LIVE IN TAMPERE」を2012年にリリースした。
2012年6月20日、バンドはヨルグの後任として当時弱冠24歳だったロルフ・ピルヴ(ds)を迎え入れる。新たな力を得て、早速ニュー・アルバムの制作を開始。そして完成した通算14作目の「NEMESIS」を2013年2月にリリースする。バンドは、このアルバムを携えて、スウェーデンのAMARANTHEとともに2013年3月からヨーロッパをツアー。そして10月、『LOUD PAKR』に初参戦。