Sonata Arctica
前身バンドをTricky BeansとするSONATA ARCTICAは、4本目のデモが当時母国のいちマイナー・レーベルであったSpinefarmレーベルとディールを結ぶことに成功、1999年末に1stフル・アルバム、「Ecliptica」でデビュー、(日本盤は3月にリリース)その後、メンバー・チェンジを経て、翌年ミニ・アルバム「Successor」を発表、新布陣で臨んだ2ndアルバム「Silence」は1stアルバム以上のヒットを記録し、新世代HMの旗手として一躍シーンにその名を知らしめた。
2002年には1stジャパン・ツアーの模様を収録したライヴ・アルバムをリリース、活動は順風満帆に見えたかに思えたが、2nd「Silence」から参加したミッコ・ハルキン(Key)が脱退、オーディションの末に選ばれたヘンリク・クリンゲンべりが後任として加入する。しかし既にレコーディングが進行していた、3rd「Winterheart's Guild」にはスケジュール的に参加できず、イェンス・ヨハンソン(Stratovarius)のヘルプを得て「Winterheart's Guild」は完成。その後ワールド・ツアー終了後に、4作目である「Reckoning Night」の曲作りに着手、紆余曲折を経て完成をみたこのアルバムは2004年10月にリリースされた。
新しいマネージメントに移籍してのこの作品は日本を含めたヨーロッパ各国でスマッシュ・ヒットを記録、母国フィンランドを含め各国で過去最高のセールスを記録、その勢いをかって2004年2月には3度目のジャパン・ツアーを実現させる。続いて通算5作目となる「Unia」は、2007年5月にリリースされたが、この直後オリジナル・メンバーの1人ヤニ・リマタイネンがグループから脱退という、グループ結成以来の危機に見舞われる。バンドは既に旧知の間柄であったエリアス・ヴィルヤネンを急遽正式メンバーに加え、ワールド・ツアーを乗り切る。過去最高の規模となったこのツアーは彼等に著しい成長をもたらし、結果ここで得られた経験は2009年9月にリリースされる6thアルバム「The Days Of Greys」へと反映されることになった。このツアーでは母国オウル公演がヴィデオ・シュートされ、2011年秋2作目のライヴDVDとしてリリースされる。並行して行われた新曲作りが終了するや、すぐさま新作のレコーディングを開始し、12年5月に通算7枚目のスタジオ・アルバム「Stones Grow Her Name」を完成させた。